市丸博司のPC競馬ニュース 谷川善久の枠内駐立不良につき
 第348回 2006.08.22

高校野球に学ぶ、競馬への取り組みかた


 先週チラっと述べたが、今夏は高校野球・甲子園大会が面白かった。
 ちょうど小説『バッテリー』(作・あさのあつこ)にハマって「野球というスポーツをする(続ける)うえで大切なこと」を考えている時期ということもあり、またこの人の影響もあって、ついうっかり(?)何試合も見てしまった。もともと高校野球には「野球のプリミティヴな楽しさ」と「高校野球ならではの面白さ」の両方を感じられて好きなのだが、近年は3年前の常総の優勝をボヤっと覚えているくらいで、なぜかご無沙汰。こんなに高校野球を楽しんだのは松坂らのいた横浜が春夏連覇を果たした第80回大会以来、8年ぶりのことだ。
 今大会は、とにかく終盤の8回〜9回に大きく動き、最後までヒリヒリとした緊迫感が漂うゲームが多かった。また、早実の斎藤投手や大阪桐蔭の中田など間違いなくプロに入ってチームの主軸になるであろう好素材、あるいは笑顔のプレーが印象的だった仙台育英、南の島からやってきた八重山商工など興味深い高校も目白押し、そのへんの作り物のドラマなんかよりよっぽど熱くてシリアスなストーリーを見せてもらった、という思いもある。しかも決勝は、3連覇を目指して戦う駒大苫小牧と夏初優勝を賭ける早稲田実業とが、がっぷり四つ、相譲らず引き分け再試合。もうおなかいっぱいである。

 もっとも印象的だったのは準々決勝の帝京VS智弁和歌山戦だ。
 9回オモテまでのスコアはご覧の通り。

帝 京 12
智弁和歌山

 帝京の9回は凄まじかった。とにかく打つ球打つ球すべて三遊間を抜けていく。2アウトから単打を重ねて1点ずつ詰め寄り、遂には逆転し、とどめに3ランホームランで計8点。これで終わったな、と思わせた。帝京ベンチには「俺たちってすげー」とでも思ったのか泣いている選手までいた。
 ところが、今大会の試合はこれで終わらない。その裏、帝京のマウンドに立ったのは、背番号8の勝見君。どうやらほとんど公式戦で投げたことはないらしい。緊張からか四球、四球と走者を2人出し、智弁和歌山の四番・橋本君にガツンと一発を浴びる。これで1点差。さらに次打者にもフォアボールを与えたところで勝見君は降板となる。
 続いてマウンドに上がったのは、さっきまでショートを守っていた杉谷君。彼も、中学時代は投手を務めていたそうだが、高校に入ってから公式戦での登板はないようだ。しかも一年生。「まぁ帝京クラスになると各中学から『エースで四番』っていう奴らが集まってくるってことだよな。ちょっと強引な選手起用にも思えるけれど、この先(準決勝・決勝)のことを考えると、ひとりでも多く『投げられる選手』を作っておくことも必要だかんな」などと感じると同時に、「でもこれって、菊花賞でディープインパクトに新人騎手を乗せて『逃げて勝て』って指示するようなもんだよな」などと思ってもしまう。
 結局、杉谷君は1球目を打者・松隈君にぶつけ、無死1塁2塁にしてしまって即降板、ショートに戻ったのだが、そのときの彼の表情は「大丈夫か? 息するの忘れてないか?」と訊きたくなるようなものだった。
 ここでようやく投手登録の岡野君が登板。1人目・明らかに気負っている馬場君をレフトフライに打ち取ったものの、次の青石君にタイムリーを打たれてとうとう同点。楠本君には四球を出して満塁にしてしまい、打順はトップバッターの古宮君にまわる。
 1球目ボールの後、2球目は甘めの球だったがファール。そこからは「ストライクゾーンに投げると打たれそう」との意識が働いたのか、3球目ボール、4球目もボールでカウントは1−3となった。次がボールなら押し出しだ。

 ここで考えたのは、「まぁフツーは打者に対して『待て』のサインだよな」ということ。さらに「いやいや、俺が監督だったら古宮君には『バントのフリだけしろ』ってサインを出す」と考えた。単に見送るよりも投手の動揺を誘えて、ボールになる可能性が高まると思ったのだ。
 ところが古宮君、内角の厳しい球に対してバットを振りにいった。フルスイングだ(結果はファール)。恐らくはベンチから「打てる球なら打っていい」というサインが出たのだろう。試合後、古宮君も「できればスタンドに放り込むつもりだった」と語っている。
 自分の浅ましさが恥ずかしくなった。「投手の動揺を誘って四球を狙う」って、なんて“せせこましい”考えなんだ。すでに同点に追いついているし、空振りでも2−3だし、内野ゴロでも(この極限状況下で)ダブルプレーになる可能性は高くないだろうし、外野フライでもOKなわけだし、確かに「打っていい」のサインを出してもおかしくない場面ではあるが、そこで本当に「打っていいよ」と指示を出し、実際に打ちにいくってのは、相当にスゴイことだと思う。
 智弁和歌山の高嶋監督は春夏あわせて甲子園で50勝をあげているそうだが、その記録は、こうした「選手の力を信頼し、選手の力を引き出す采配」があったからだろう。もちろん選手たちにも、これまでの練習や試合で積み上げてきた自信があるからこそ監督の思い切ったサインにも応えることができる。

 浅ましい考えは、自分の馬券にもあらわれているよな、なんて思ってしまった。「よし、この馬を中心で」と考えつつも、つい「こっちも怖い、こいつが来たらどうしよう」などと不安になってバラバラと買い散らかしてしまう。あるいは「こっちのほうが配当がデカそうだ」などとスケベ心を出してしまう。
 こうした買いかたは、明らかに「自分の予想や買いかたに自信を持っていない」からだ。「こっちのほうがトクになりそう」という損得勘定だけで馬券を考え、「どの馬が勝つか」という基本部分を忘れてしまった買いかただ。しかも、チョロチョロと100円ずつ、せいぜい200円ずつ。フルスイングできない。
 いや、かなり自信を持って勝負するときもあるし、そういうときは思い切りよくスイングする。そういうレースでの的中率はソコソコ高いとは思う。けれど、そんな打席が巡ってくるのは年に1回あるかないか。なぜなら「積み上げていない」せいだ。「どんなとき、どんな馬を買うか」という予想スタイルが、まだまだ自分の中で曖昧なんである。試合に臨む準備、打席に入る心構えができていないのだ。
 とはいえ、たぶん、闇雲に「よーし、経験と予想スタイルを磨き、積み上げるぞ」なんて意気込んでもダメなのだろう。自分の実力と経済力とギャンブル適性とを考えて、コンパクトな打撃に徹するか、スタンドに放り込むようなスイングを磨くか、スタイルを決めたうえで練習(より多くのレースを見て、予想して、反省する)を重ねなければいけない。その積み重ねが、やがて自信となり、打てるときには打つという心構えを自分の中にもたらし、そういうケースがより多く巡ってくるようにもなるのだ。

 買う側だけじゃなく、レースをする側にも、これはいえることだろう。たとえば武豊や横山典弘、あるいはペリエやデムーロといったトップジョッキーの乗りかたには“揺らぎ”がない。「この馬は、こう乗る」「このレースは、こう戦う」といった経験則が各騎手の中に積み上げられ、それが自信となり、次のレースで発露するのだ。その積み重ねがなく、1レース1レース乗るだけで精一杯というジョッキーには、「こう戦う」という意志が感じられない。

 意思のあるジョッキーを信じ、自分の予想に自信を持ち、思い切りのいいスイングで馬券を買う。そういうケースがより多く巡ってくるような競馬への接しかたをしたいものだ。
 具体的には、たとえば「芝は無視、ダート戦だけを研究する」とか「買うのは3連単のみ、1頭軸+ヒモ5頭の20点買いにふさわしい馬のピックアップ方法を磨く」などと、まずはスタイルを限定し、そのうえでレースを見ること・予想することに手をつけるべきだろう。レースのたびに違う観点からデータを組み立てたり、曖昧な価値観で予想したりするのではダメだ。球児たちが「とにかく速い球に対応できるスイングを身につける」などとテーマを決めて練習に励み、その積み重ねで「うん、速い球を打てる」という自信を身につけるように、「このレースは、こう買う」「打てる球が来たら打つ」と言い切れるスイングを目標として、そこへ向かって1つずつ経験を積み重ねていくことが必要だ。

 結局、古宮君は四球を選び、ゲームは押し出しサヨナラという結果になった。ここで四球を選べるのも、智弁和歌山の選手たちが積み上げてきた鍛錬が「ボール球には手を出さない」という形になって結実したせいだろう。
 勝利をもたらすのは、やはり、目標を持った積み重ね、それによって培われた自信なのだ。





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