祝・メイセイオペラ
フェブラリーS

 最近は、なんか競馬見て感動することがほとんどなくなったなぁ。
 レースを見て馬券を買うことがものすごい楽しみだったころは、ちゃんと1レースから競馬場に行って、金額は少ないけど全レースの馬券を買って、ゴール前はいつも大声で叫んでたもの。

 フェブラリーSは、スタンドの上の方から見た。はじめての場所だったので、準メインレースでどこから見たらいいか場所の確認。そしたら、こんな上の方からでも騎手や馬の名前を叫んでるおやじを発見。
 「こんなとこから叫んだって聞こえるわけねーじゃねーか」と、かなり醒めて、他人事のように見ていたわたし……。
 が、しかし、フェブラリーSの直線では叫んじゃったよ。スタンドの上のほうから。
 「イサオー」って、気合を入れて叫んだのは、ミスターホンマルがトチノミネフジ、スズノキャスターの3着に負けた全日本アラブ大賞典以来のような気がするから、ずいぶん前のことだな。トウケイニセイでも叫んだかもしんないけど、勝つレースはいつも強すぎたし、モリユウプリンスもけっこう応援してたし、3着に負けた南部杯は叫ぶというようなレースではなかったし。

 ゴールを見届けて、すぐに検量室のところに降りて、表彰式までずっと地下にいたから、「イサオコール」を聞けなかったのがとっても残念。どんなに盛り上がってたんでしょうか。
 だいたい取材っていうと地方競馬ばっかりだから、検量室のほうに行っちゃっても、スタンドのほうがどんなことになってるのかわかるもんね。天下の東京競馬場だってことを忘れてたよ。

 岩手の関係者はみんなうるうる。とりあえずさまざまな人に「おめでとう」を言って、握手。いろいろと言葉を交わすと、こっちまでうるうるしちゃいそうなので、ほとんど握手だけ。
 シーキングザパールのモーリスドギース賞は見に行けなかったけど、あのときはきっとこんな感じだったんだろうなぁ、と思う。
 自分のとこでは勝てるのに、相手のところに行くとGIをなかなか勝てないっていう状況は、まったく同じだったものね。

 帰り際、スタンドの関係者入口のところで「優駿」のカメラマン某氏が、わたしに「おめでとう」と声をかけてきた。
 わたしに対して「おめでとう」と言うのはなんだか逆のような気がして少々違和感があったけど、某氏は地方競馬にはほとんどたまにしか来ないから、彼のカテゴリーからすれば、わたしも完全にこっち側(岩手というか地方)の人だったからだろうね。
 そういう他のグループを思いやるという感性は、日本人にはあまりないから、違った意味でちょっと嬉しかった。
 アメリカとか行くと、ほんとにそういうコミュニケーションって普通だもんね。特に世界のいろんなところから記者が集まるドバイではね。べつにそれまでぜんぜん話したことがなくても、勝者側を素直に称えるし、残念な結果だったら、心から残念だったねと、声をかけてくれる。
 ホクトベガのレース翌日がまさにそれ。プレスホテルのロビーなんかで、こっちが日本人だとみると「ほんとに残念なことだった」と、自分ごとのように悲しい顔をして何人もの外国人記者(ほとんどアメリカ人だけど)が声をかけてくるので、逆に恐縮してしまうほどだった。
 日本人って(当然わたしも含めて)、そういうコミュニケーションがとっても下手なんだよなぁ。もちろん言葉の壁があるにしても、外国行くと日本人だけ固まって孤立してる場面ってよくあるもの。

 レース前なんかでも、「日本の馬はどうなんだ」ってよく聞かれるし。まあ、むこうの人たちは日本の競馬なんてよくしらないから聞いてくるだけかもしれないけれども、やっぱり日本人記者が外国人に積極的に話を聞いてるなんて場面はあまり見かけないものなぁ。
 こないだのサンタモニカHのときも、スタンドの記者席でたぶん地元の記者と思われるとある人物に突然声を掛けられた。「日本のシーキングザパールって馬はどうなんだい」って。
 ふだんはとっても英語に苦労してるのに、そういうときって、なぜかちゃんとコミュニケーションがとれちゃうんだよね、不思議と。もちろん単語だけ並べてるような、むちゃくちゃな英語なんだけれども。
 で、最後に「じゃ、がんばれよ」みたいな意味のことを必ず言ってくれて、なぜかそれだけでちょっと嬉しくなっちゃったりして。

 まあ、そんなことにいろいろ想いを巡らした数時間は、どっか違う世界での出来事であったかのようではありました。

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